私の場合、「好きなことを仕事にしたい」と考えて独立したという一面も、ないとはいえません。

あれから13年くらいたちましたが、特に後悔というものもなく、率直な感想としてはチャレンジしてみてよかったと感じている。

好きを仕事にするならば、人生という視点からも仕事を考える

この点については、いわゆる「社会的な成功(地位や名声、お金など)」を第一目標としていたわけではなかったからこそ、よかったのかもしれない。

私は、私の人生が私にとってもっとも大切なものであったから、抽象的な表現になってしまうけれども、仕事だけではなく、仕事もふくめた人生全体をうまく扱おうと心がけてきた。

だから例えば、私のためにそれなりの金額の資金援助を申しでてくれた方もあったけれども、それをあえて断るというような決断の場面もあった。

そのときに「もったいない」という周囲の話をずいぶん聞いた。けれどもそれは、なにを基準に判断するか?というところで分かれるところなのだろう。

好きなことだけではなく、好きな作業にも着目してみる

好きなことを仕事にしたほうがよいのか、しないほうがよいのか?

これについての私の意見は、「好きなこと」だけではなく「好きな作業」でも考えてみるということ。

また本業は別にあってもよいので、(副業が許されているなど)チャレンジできる環境であるならば、やってみて損はないだろう。

(ここでいう「損」とは金銭的なものではなく、「人生全体をとおしての経験」というような意味)

例えばサッカーが好きで、本を読むのが好きで、文章を「書く」という作業が好きならば「スポーツライター」という仕事は性にあっているかもしれない。

好きなことを仕事にするか迷うのは、ある意味で当然のことでもある

ここまでは私の個人的な体験にもとづく意見だけれども、もうすこし客観的に考えてみるとどうか?

「好きかどうか?」という判断材料だけで仕事について考えるのは、すこしシンプルすぎるかもしれない。

岡村隆史が暴露「借金まみれ」ジミー大西が絵描きをやめた理由

ここではジミー大西が時給350円で絵を描いていたことに気づいて絵描きをやめた、というようなことが書いてある。

これは「好き」と「収入」という単純な関係だけれども、例えば他にも「好きなことを仕事にしているけれど、同僚にものすごく嫌いなヤツがいる」なんていうことも、あるかもしれない。

好きなことを仕事にするため、仕事の「コントロール度」を高める

この要因をクリアにしていくためには、自身の仕事のコントロール度を高めていくしかないのではないだろうか?

コントロール度については頭とこころの整理法 – プロジェクトの計画作成 について参考にしてください。

というわけで、あえて本業にしなくてもよい、述べたのは、好きなことであっても本業にした途端、コントロール度が下がる可能性があるから、ということでもある。

なぜ、好きなことを仕事にすべきかどうかということを考えてしまうのか?

先ほども触れましたが、「好きかどうか?」という材料だけで「仕事にすべきかどうか?」と考えることは、考えかたとしてはすこし単純すぎるかもしれない。

なぜなら普通はそれ以外の要因ーー上に述べた収入とか職場環境とかーーも含めて総合的に判断するはずで、そのような意味では、「なぜ私は、好きなことを仕事にすべきかどうか、なんていうことを考えてしまうのか?」ということについての原因にこそ、解決すべきテーマがあるといえるでしょう。

例えば、好きなことを仕事にすべきかどうか?で悩むというのは、その裏には「よりよい人生を送りたい」とか、「後悔しない人生を送りたい」というような気持ちがあるのかもしれません。

 決断と後悔は表と裏の関係にある。何かの事柄について後悔するとき、その前提として必ず決断があるからだ。この場合、決断は二つに分かれる。「何かをやる」という決断と「何かをやらない」という決断だ。したがって、後悔にも二種類ある。「あんなことをしなければよかった」という行為に対する後悔と、「あそこでこうしておくべきだった」という不作為に対する後悔だ。

この13年ほど、いろいろな人をみて、私は運がよかったのかもしれないと思うこともある。

また生来の楽天家というか天然気質なところがあるのかもしれないけれども、ピンチをピンチを認識できずに前向きにチャレンジしてしまったような場面もあるような気がする。

これは、若さゆえのことだったのかもしれない。