この記事で私が伝えたいことは、内向きな(内向的な)自分を認めるということについてです。

このこと自体は、すでにさまざまな本で触れられているとおりです。

実際に、多くの人は、その中間くらいの「特別に内向的でも外向的でもない」という地点に位置すると思いますが、社会にでれば、ある程度、外向的であることを求められることが多いのではないでしょうか?

最近まで、自分が内向的であると気づいていなかった

そのため、かつての私のように、自身の内向性に気づかずに、なんとなくボタンをかけ違えているような窮屈な日々を送っている、という人もいるかもしれません。

たしかに、若い頃の私は、「外で活発に遊び、友だちがたくさんいるということが(そうでないよりも)大切なんだろう」と考えていました。

ですから、他人と会話をしたり、外出するだけで消耗してしまう自分という存在がよく理解できずにいました。

組織のなかでの仕事も得意ではなくーーというか、非常に神経を使い、疲れてしまう。そのため、現在はフリーという立場で、自分の仕事場にひとりでこもっていられるような仕事をしています。

結婚し、子どもたちにめぐまれ、家族のことは自分なりに愛しているつもりですが、どうにも「自分だけの時間」がないと、感情のコントロールが難しくなってしまう。

優劣や善悪の問題ではない

このような私を、すべて「内向性」という言葉で説明してしまうつもりはありません。

しかし生理的な側面から私自身の「性格」というものを考えたとき、おそらくこれは、基本として(生まれながらに)備わっている「初期設定」みたいなものであろう、とも感じます。

またそれを認め、前向きにとらえることにより、随分と楽に過ごすことができるようになりました。

外向的であること、内向的であるということは、ひとつの特色ともいえるものであり、「どちらかがよくて、どちらかが悪い」というわけではありません。そして外向性ーー内向性というのは、いわゆる血液型や星座のような「タイプ」で分けられるようなものではなく、自身のなかにあるひとつのモノサシのようなものなので、誰しもがその両方の側面をもっている、といえます。

私は日々、自分の仕事場にこもっており、顧客とはすべてメールでやりとりし、電話をすることはありません。仕事が終われば家事や子どもの世話を手伝い、読書をし、週末も家族と過ごしますが、こんな毎日が耐えられない、という人もいれば、これでとても幸せである、という人もいます。

それは優劣や善悪の問題ではない、と私は思います。